在家の弟子
UD 2.5: A Lay Follower“Sukhaṁ vata tassa na hoti kiñci,
📖 現代語訳
このように私は聞きました。あるとき、ブッダはサーヴァッティーの近く、ジェータ林にあるアナータピンディカの修行場に滞在しておられました。
さて、そのころ、イッチャーナンガラカから来たある在家の弟子が、用事があってサーヴァッティーを訪れていました。サーヴァッティーでの用事を終えると、彼はブッダのもとを訪れ、礼をして、傍らに座りました。
ブッダは彼にこうおっしゃいました。「在家の弟子よ、ここに来てくれたのは久しぶりですね。」
「長いあいだ、ブッダにお会いしたいと思っておりました。けれども、多くの仕事や務めに追われて、来ることができずにおりました。」
そこで、ブッダはこのことを深く理解され、その折に、次のような心からの言葉を述べられました。
何ひとつ持たない人は、まことに幸せです——
教えを学び、見きわめた人なのです。
ごらんなさい、執着を持つ人がどれほど悩み苦しむかを。
人に固く縛りつけられた者の姿を。
↑ さて、そのころ、イッチャーナンガラカから来たある在家の弟子が、用事があってサーヴァッティーを訪れていました。サーヴァッティーでの用事を終えると、彼はブッダのもとを訪れ、礼をして、傍らに座りました。
ブッダは彼にこうおっしゃいました。「在家の弟子よ、ここに来てくれたのは久しぶりですね。」
「長いあいだ、ブッダにお会いしたいと思っておりました。けれども、多くの仕事や務めに追われて、来ることができずにおりました。」
そこで、ブッダはこのことを深く理解され、その折に、次のような心からの言葉を述べられました。
何ひとつ持たない人は、まことに幸せです——
教えを学び、見きわめた人なのです。
ごらんなさい、執着を持つ人がどれほど悩み苦しむかを。
人に固く縛りつけられた者の姿を。