ティッサメッテッヤの問い
SNP 5.3: The Questions of Tissametteyya概要
ティッサメッテイヤが「真に満たされた人とは誰か」と問います。ブッダは、感覚の快楽の中で精神的な道を歩み、両岸に囚われず、心が穏やかな人こそ偉大であると答えます。
Kāmesu brahmacariyavā, vītataṇho sadā sato.
📖 現代語訳
「この世で満ち足りているのは誰ですか」とティッサメッテッヤ長老は尋ねました。「動揺のない者は誰ですか。両方の端を知りながら、中間に染まらない思慮深い者は誰ですか。偉大な人と呼ばれるのは誰ですか。ここで縫い子を脱した者は誰ですか」
「欲望の楽しみの中にあって清らかな道を歩み」とブッダは答えました。「渇望を離れ、常に気づきを保つ者。見極めて心が完全に安らいだ修行者、その人には動揺がありません。
両方の端を知りながら、中間で思慮深く染まらない者。その人を偉大な人と呼びます。ここで縫い子を脱した者です」
「欲望の楽しみの中にあって清らかな道を歩み」とブッダは答えました。「渇望を離れ、常に気づきを保つ者。見極めて心が完全に安らいだ修行者、その人には動揺がありません。
両方の端を知りながら、中間で思慮深く染まらない者。その人を偉大な人と呼びます。ここで縫い子を脱した者です」
💡 解説・ポイント
歴史的背景
ティッサメッテイヤは第四章でも登場した弟子ですが、ここではより深い問いを投げかけています。「満たされている人」「動揺のない人」「両端に囚われない人」「偉大な人」の特徴を尋ねる四つの問いは、理想的な人間像を多角的に描き出します。ブッダは、感覚の快楽の世界にいながらも心が自由な人、過去にも未来にも執着しない人を理想として描きました。この教えは、出家と在家の両方に適用できる普遍性を持っています。
現代の私たちへのメッセージ
「満足」とは何でしょうか。この経典は、外側の条件で満たされることではなく、内側の穏やかさを持つことだと教えています。収入が増えても、地位が上がっても、心が不安定であれば満足はありません。逆に、外側の条件がどうであれ、心が穏やかであれば深い満足感を得られます。「両端に囚われない」という教えは、極端に走らないバランスの智慧です。やりすぎもやらなすぎもせず、中道を歩む。その穏やかさが、真の満足をもたらします。
📚 重要用語
Tuṭṭhi満足。外の条件ではなく、内面の穏やかさから生まれる充足感です。Ubhayanta両端。極端な考え方の二つの端のことで、どちらにも偏らないことが大切です。Aneja動揺のないこと。心が外的な変化に振り回されない安定した状態です。
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